2001-03-22 第151回国会 衆議院 憲法調査会 第4号
戦前の日本の天皇制国家と同じような神聖国家。このような国が二十一世紀も生き残っているということ自体が非常に悲劇的なことではあります。しかし、現在の北朝鮮がそう簡単に内部崩壊しないということも、この数年にわたる北朝鮮の現実を見て皆様方が痛切に理解されたことではないかと思います。 私が思いますに、北朝鮮が内部崩壊することはまずあり得ないと思います。ならば、どうしたらいいのか。
戦前の日本の天皇制国家と同じような神聖国家。このような国が二十一世紀も生き残っているということ自体が非常に悲劇的なことではあります。しかし、現在の北朝鮮がそう簡単に内部崩壊しないということも、この数年にわたる北朝鮮の現実を見て皆様方が痛切に理解されたことではないかと思います。 私が思いますに、北朝鮮が内部崩壊することはまずあり得ないと思います。ならば、どうしたらいいのか。
人々は古い共同体から引き離されて、天皇制国家の象徴の体系の中に呼び込まれることによって国民となったのです。そのとき、近代天皇制の象徴体系の中に呼び込むための象徴装置の役割を担ったのが、日の丸、君が代、御真影、教育勅語といった、明治国家によって新しくつくり出された記号でした。 これらすべては古来からの伝統ではなく、近代国家をつくるための新しく発明された伝統であったということが重要です。
戦前の反省というふうに一口で言いますけれども、これは天皇制国家、大日本帝国憲法が精神の自由にとってどういう意味を持ったかということであります。 非常に具体的な例でまず考えれば、この帝国憲法が一八八九年に成立し、そして翌年、教育勅語がつくられます。その勅語ができた直後に内村鑑三事件が起こるわけです。
当時の政治の衝に当たっておられた人たちは、そのような軍国主義的天皇制国家を初めから想定していたわけではなかったと思います。しかし、憲法の条文がひとり歩きをして、軍隊と結合した力が天皇制軍国主義国家をつくり上げていってしまったわけであります。そして、恐ろしいことに、神国大日本帝国論だとか現人神天皇論などがこの国を支配するという忌まわしい歴史的事実を生んでしまったわけです。
大日本帝国憲法をつくったときに、まさか神国天皇制国家をつくるとは思ってなかったと思うのです。そして、どういう事実かといったら、天皇の人間宣言をしなければならぬほど日本の国はマインドコントロールにかかったというのは、少なくとも戦前を御存じの方は御存じですね。わざわざ天皇陛下をラジオに引っ張り出して人間宣言をしないと、日本の国民が神様だと思う。
戦争前の昭和十年代でございますから、天皇あるいは天皇制国家がこの国の基本であったと思いますが、今の憲法が定めているような国民主権の国の成り立ちではありません。翼賛会なんか上並んで産業報国会なんという言葉が、団体があったようですが、すべては国に報ずるというか、それが産業の目的でもあった。そんな時代の中でこの保険業法も誕生したのではないかというふうに思います。
ところが、あの当時は昭和十年だから、何しろ神皇正統記、南北朝時代の話ですから、これは天皇制国家だ。だから天皇制のあれを守ったということで無条件にやっちゃったんだな。二十二ヘクタールですよ。それをやって、その後、今度新しい憲法になって四十九年に、今度は市街化区域あるいは調整区域という形になってこれは市街化区域になった。ところが、そこの地域の人たちが家を建てかえようとしても、だめだ、こう言う。
戦前の天皇制国家の反省から新憲法が制定された経緯を踏まえて、旧憲法下に行われた大嘗祭に固執することなく新しい態様をとるべきだと考えます。 これまでの政府並びに宮内庁の御答弁でも明らかにされているように、大嘗祭は神道の形式による宗教的儀式であって、その起源は天皇が神になって統治者としての資格を備えることを本質とする儀礼であります。
○北川(昌)委員 実質的に該当しないとおっしゃいますけれども、旧恩給法の概念としては、天皇制国家のもとでの軍人、官吏の永年勤続に対する慈恵的、特権的待遇として本人またはその遺族に年金または一時金が支給され、その反面で国に対する無定量の服従義務の精神を培養する役割を果たしてきた、こういう定義づけがあるわけですけれども、これと同じように、この前検討された中での文章の中にも「自衛隊は、わが国の平和と独立を
それは戦前の官吏が天皇制国家という意味で一部の奉仕者であったということへの反省から規定された条文だと思います。教育公務員もやはり公務員でございますので、基本的にその原理が貫かれるべきだと思います。
そういう者に対して老後の生活まで見てやろう、こういうのが天皇制国家における国家の意思であったろうと思うのです。
それはまたこの報告書の二十一世紀に向けての教育理念として戦前教育からの不易なもの、変わらないもの、自然を超えたそういう心、宗教心、こういうものを持ち込もうとする議論、実はこういう考え方というのが教育勅語に代表される天皇制国家主義教育の理念、これを今またよみがえらせ、これを持ち込もうと、こういったくらみがあるんじゃないかというふうに私は言わざるを得ないと思うんです。
○佐藤昭夫君 そのように言われるんだったら、さっきから言っている教育勅語を否定をすると、天皇制国家主義教育を否定をすると、こういうことで教育基本法というものは制定をされ、以後戦後教育が進んできておるんだというこういう記述がなぜないんですか。ないというのは何かの理由があるんじゃないか、一定の議論があるんじゃないかという、そこの疑問が出ざるを得ないじゃありませんか。
そしてかつての紀元節、天皇制国家体制の思想的基盤でございました皇国史観を奉ずるような人々がほとんどでしょう、この団体というのは。その団体の行う行事を後援なさった。国民みんなが祝うのを後援するのは当然かもしれません。
私の言い方が少し、私は徳川時代を標準にして考えたものですから、そういう事実と違った表現になったことはおわびいたしますけれども、われわれがいま問題にしているのは明治時代の一世一元、あの天皇制国家の成立と同時に発足した一世一元、それと現在を考えておるのであって、また元号法制化を、一世一元という法制化をいま進めていらっしゃる人は、何も平安時代の桓武天皇時代に戻るという意味で言っていらっしゃるのではないんで
この教育勅語は、旧憲法下における天皇制国家観の上に立つ戦前の教育指針として示されていたことは、教育勅語という形をとる限りにおいてはこれは否定されたものだと、こういうことについては大臣もそのように御確認いただけますか。
天皇制国家への逆戻りが心配だという声もありますよ。私はこれは大変大事な問題だと思うから指摘をするんです。 そこで、文部大臣に聞きますが、君が代を国歌というように指導要領に書くようにするということは、平素から子供たちに君が代が国歌であると教えるその目的は、一朝有事、戦争の際に備えて教育上必要だというお考えにあなたは賛成ですか。
文部大臣にもひとつ聞いていただきたいわけですけれども、帝国憲法と教育勅語のこの二つを軸として天皇制国家体制が形成されたその教えは、そのときには一つの日本の教育のたばね、精神的な一つのねらいとしてある。あなたはこの教育勅語を総理大臣と同じ角度でとらえております。どうかこの点はあなたからも御答弁を願いたいわけであります。